今夏<女優金澤 碧 ひとり、かたり -斎藤真一の描いた女性たち->に行ってきた。
瞽女を追った、画家で作家で脚本家で先生もやられていた(!)斎藤真一さんの脚本を金澤碧さんが朗読してらっしゃったのだけど
わたしは五体不満足という大きなハンデを持った人の気持ちをはっきり言って全然わかっちゃいないと思う。
私の兄は癌で下半身麻痺になり7年間車椅子で過ごしたから その間兄の側にいつも居たし兄の病院の患者さんたちにもたくさん触れてきたけど その人たちの思いや見てきた景色をわたしは想像しきれない。
だからこそずっと瞽女のリアルを追い求めた斎藤真一さんの脚本は生々しくて 自分に置き換えるには辛いものがあり過ぎた。
もし今病気になったら 手が足が動かなくなったら 目が見えなくなったら耳が聞こえなくなったら そう思うとすごく怖い。少しの肌荒れやコンプレックスを気にしてる自分がすごく小さく感じる。
かと言ってわたしが生まれて今迄苦労なしだったかなんてそんなわけはないし かと言って彼等も辛いだけじゃなかった。彼等にもわたしにも宿命故の喜びがある。そもそも幸不幸の比較はできないしするべきでもない。
ただただ、敬意。自分の視点から見えない世界を知って 人を知って 想像力を 愛を 大きくしたい。
そして在るものがただ存在するだけで嬉しい、ありがたいという気持ちを忘れずに居たいと思う。
次の芝居では口の聞けない少女を生きることになって 本稽古に入ってる今、口の聞けないというのはそれはそれは苦しい ながら自分自身を重なり合わせると 言葉が仇となったこと 言葉があっても伝わらなかったこと 故の苦しみも湧き上がってきた
今迄演じてきた者たちを思い出す。新撰組の永倉新八、マリーアントワネット、クリスチャンで娼婦の宋金花、その他諸々(カエルや天使も!)演じてきたのはみんなみんな全く違った個性を持った者たち。
ただ偶然か否か大半の共通項はあって みんな直向きで、ピュアで、崖っぷちの人生。
直向きに信念貫いた彼等は決して”不幸”ではなかったように思う。やはり”信念こそ”と思う。