あらゆる悪意やそこから生じたであろう言葉。脚を引っ張ろうとする何か。
信じなくて良いし、従わなくて良いし、気にもしなくて良い!
良心から出た聴くべき批判は別として。
無論、聞こえてくる全ての声に影響されなくて良い。
妥協しちゃいけないし遠慮しちゃいけない、自分が自分に与えられた資質を愛故に最大限に活かすことを。
その能力を発揮しづらいとき、何か抵抗や圧迫を感じるとき、それは進もうとしてるときで
それは人生においてすごく大切なステージがそのもう少し先にあるということ。
孤独の中で根を張りつつ、真の仲間を探せ。同志と強く結び付け。
そして真っ直ぐ進め。
三つ撚りの糸は簡単には切れない(伝道者の書4-12)
恐れてはならない、おののいてはならない(ヨハネ1 4-18)
強くあれ、雄々しくあれ。(申命記31-8)
そんな風に言われているような気がする、近頃。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1-5)
誤解はいつか解ける。本当の事はいつか全て明るみに出される。
神様の目には既に全てが見えてる。
だから審判は自分でするのでなく、神様にお任せする。
赦す。愛する。
愛するに値しない、人間の目から見たらそのような者であっても。
自分だって原罪を持って生まれた者なのだから。
これまで多くの間違いを犯してきて、今だって間違える者なのだから。
それでも
わたしの目にはあなたは高価で尊い。(イザヤ43-4)
と神様は言ってくれる。
そのことを深く受け止め感謝して、自分もそのように人々を想う。
日々、悔い改め、新しく!
強くあれ、雄々しくあれ!