2020年3月11日水曜日

色々な状況がある中で


何に目を留め、何に心を向け、何を信じ、何を選び取って行くか。ということを益々考えさせられるご時世。

連絡不精になりがちな私ですが
このところは友人知人たちと近年稀に見る程?!連絡を取り合ってます。

お陰様で都度温まっています。持つべきものは、とは本当に。

↑2013年夏リヒテンシュタインにて見つけた謎の女性二人。








2020年3月7日土曜日

パラサイトを観たり今日が楽しみだったりしながら


いつだってそうと言えばそうなのだけれど、今回は特に、今まできっとずっとそこを目指して歩んで来たのではと思えるような時を迎えるかもしれなくて、眠れない。それが単なる思い過ごしで終わったとしても、今この瞬間胸がもの凄く高鳴ってる。

最近話題のパラサイトを観て色んなことを想ってた。

生まれつく場所や育つ環境、才能、色々な特質は平等とは言えず本当に人それぞれだけど、それぞれにそれぞれの他人にはわからないような苦労とか喜びとか色んな感情があって、しかもそれは時と共に移ろう。そして目に見えるものはいつか朽ちる。

沢山の悔しい事も抱えて時には諦めて拠り所を求めて傷付け合う そんな繰り返しを重ねて

でも雁字搦めになって大人ぶって蓋しているものも、本当のところまだそこにあって、それが腐ってるのか熟成されているのかを嫌でも知るときが来るね。

私はこの世でほんっとうに生きづらい。今でも生きづらい。信じてるものや大切なもの、知恵や色々を昔よりは手にしたはずだけど、少しは強くなったと思うけど、眠れない夜が今だって沢山ある。

かと言って絶望ででももう生きていない。いつだって希望を握ってる。

誰もお互い様なのだから揚げ足取り合うのなんてもう懲り懲りだし、見下し合って蹴落とし合ってプライド保って一体何になるのだろう。罪を握って行く先は・・

金銭主義にはなりたくないしそうならないよう逆らって生きてきたけど、金銭面のみならず精神面でも、自分の持っているもの・望んでいることを伸ばしてくれる・応援してくれるような投資が10代の頃満足に無かったから現代の日本人としては人並み以上に苦労したと思ってるし、今だってその影響からくる結果や弊害に悔しさが募ることが多い。育った環境はどうしたって人生を大きく左右するから見過ごせない。

夢どころか生活していけるかという境地から動けない・いつ解放されるかという状況に強いられている人たちばかりの時代があった・今でも世界中に沢山居る。ということも踏まえたらなんて贅沢な話、という風になってしまうけれど、じゃあ自分の素質を伸ばしたり目標を追おうとするということが悪なのかといったら違うと思う。人生、自分の居場所や生き甲斐なしに生きられる程容易くない。

神様が一人一人に個性を与えてるし、沢山の歯車があって世界は動いてる。人がそれぞれの資質を活かすことによってその人自身も周りも豊かになるし、そのことこそが、どうしたって現状生活もままならないような人たちを支え豊かにすることにも繋がっていく。

周りが遊んだり自分のしたいことのための勉強・練習したりしている間に汗水垂らして、目的ではなくただ毎日を”生きるためのルーティンワークな雑務バイトばかりしなくてはいけなかった時間”というのは苦しかったワリに合わず、特に日本では一般的に尊敬される経歴ではないし、本人でさえ不毛に思えてばかりだった。そこから学んだことや得たものはあった、でもそれは後付けの強がりでもある。

若いからこそ出来て後からではもう遅いことは事実あるし、自分の子供には絶対に同じような思いをさせたくない。甘やかすというのではなく、でも子を世に出す決断をもしいつかするのなら、愛と、本人の資質や将来への投資を惜しみたくない。才能を伸ばしてあげたいし、興味のあることは色々やらせてあげたい。それが出来ないのなら自分に子を産む資格は無いとさえ思ってる。

でも今になってしまえば、「これでよかった」と100%は思えなくても、たらればなんてのは本当にたらればしかない事を理解して、与えられた資質も環境も選択も運命も全て含めて人生で、過ぎたことは受け止めて前に進むしかないし、良くも悪くもどんなカード持ってたってそれらを命ある間に活かしきれるかどうか。嫌でもそうやって生きていくしか他に道がない。

こんな風に生まれついたから私は死ぬまでこうなのだ。という風にも生きられるけど、こんな風に生まれついても人を愛し、赦し、自分の人生を全うする選択だってある。決して簡単なことでは無かったとしても。そして何をするにもどんな動機と、目的で、かが凄く重要でそこで人生の質が変わる。

人が成長するときというのはやむを得ない試練のときである場合が多い。その過程で隠れていた自分を見つけるし、その先は想像を越える自分になれる。成功とか成長ということに留まらず、人生の見つめ方とか、人に対する思いやりとか、そういう観点で成長できれば、目に見える何かということばかりでなく、心が、人生が豊かになる。

ある種試練様さまだし、謙った目で周りを見るようになればわかる、全て自分の思い通りになってる人なんか一人も居ない。寧ろ若い時に全てが順風満帆過ぎたことを嘆く人だって居るくらいなのだから。

わたしはまだまだ人間として超未熟だけど、でも、これまで人知れず遭遇してきた問題とか削られるように生きた時間は絶対身になってると信じたいし、最近になってそれを肌身で感じることが増えた。まだ足かせになっている部分も多くあるけれど、でもそれが現状の、嘘のない私で、めちゃくちゃ悪くはないのだよ。

もっと大変な思いしてきた人なんかいくらでもいるよと言われても、それは実際にそうだと思うし、でも本当の本当のところは神様にしかわからない上、全てはある時に逆転するかもしれない。人生長い。だから時や状況に応じて他人に手のひら返す人にわたしはなりたくない。


・・

今現在、昔持っていたような”悔しさを晴らすために見返してやる”的な憤り的野望はもうなくて、日々の平安とか関わる人たちとの笑顔とか、時には戦いもあるけどそんな中にでも励ましとか支えとか、そういうものを地道に大切にしたい、自分の得た経験で励ますことのできる人が居るならそれをしたい。という思いに変わった。

その思いに根差した夢や目標はあるし行ってみたい場所もやりたいこともまだ色々とあるけど、なんだかど〜ぉでもよくなっちゃったことも多い。これからも迷ったり悩んだりしながらも、その都度その時間を大事に、信心・希望・愛を携えていこう。という感じで、以前のような焦燥感は減ったかな。

選別するのは自分だけど、成るようにしか成らないところに神様の御目、御手があると信じてる。わたしの思いや考えより遥かに遥かに高い次元の意図が。








2020年2月21日金曜日



翼折られ無碍に扱われた子どもも
また飛べる 鷲のように力強く

土砂降り 沈黙のまま走る車の窓
滴る水は 手を組み合い続けた

新たな始まり 明日が見えなくても
光だけ頼りに ひとつ ふたつ

失敗と誤解と迫害を理由に
進むことを辞めるな

気付けば遥か彼方 
体裁なんか吹っ飛ばして
あの影を 照らしたい

オランダ Voorbrug でのお仕事。


先月オランダのVoorbrugで動画広告のお仕事をしました。今回は2泊3日。


遠征での仕事がやっぱり大好き。は良いのだけど、預託荷物の制限オーバーで追加料金自腹を切ることに・・よく確認していなかったので自業自得。泣笑


柔らかめなスパゲッティに上質なオリーブオイルにニンニクとチーズの効いたアーリオオーリオと葡萄×ブルーベリーの赤ワインが忘れられないほど美味しかった。。


オランダなのにイタリアンだけどねぇぇ。


コーヒー控え中とはいえ仕事前には必ずラテが飲みたくなる。


渡欧してから自分でもよく作るようになったミューズリーのフルーツ添え。


ちょうど10年前の17歳の頃アルバイトしてたカフェに雰囲気が似てて色んなこと思い出してた。もう10年、まだ10年。


私以外みんなオランダの方々。優しくて優しいチームだった。オランダチーズ3つ買って、中華街にあるタピオカ飲んで帰ったよ😛💓

2019年12月15日日曜日

"PERSEPHONE" The Greek Film Festival HELLAS FILMBOX BERLIN


わたしが出演している映画PERSEPHONEが今度、ドイツベルリンにて行われるHELLAS FILMBOX BERLINで上映となります。
お近くにいらっしゃる方、お足を運んで頂けたら嬉しいです🌟

2019年12月1日日曜日

【出演情報】United nations Womans Guild Charity Bazaar 2019

11月23日、ウィーンにてUnited nations Womans Guild Charity Bazaar 2019 
ファッションショーのインド・ナイジェリア・中国シーンへと出演させていただきました。

昨年一昨年このイベントやその他の働きを通してUNWGが集めた360,000€ (現通貨換算で43,287,300円程)は子供支援に関する世界中数多くのプロジェクトに使用されているそうです。


情報詳細はUNWGホームページやFacebookページ等から確認することができます。

https://unwg.unvienna.org/

ウィーンへ来てまさかファッションショーへオファーして頂く機会があるなんて!想像もしてませんでしたが、
国際コミュニティ・民族衣装というキーワードにはずっと興味関心が強く、更にチャリティへと繋がるということで、喜んで出演させていただきました。

色、ファッション、デザイン、エンタテイメントのパワーを実感するショーでした。


インドシーン

ナイジェリアシーン

中国シーンの画像は後日もし頂けましたら追加します。


ショー前には個人的に各ブース毎に出品されている雑貨なども見てまわり
(左)UNキオスクにてお花のチョーカー寄りネックレス
(右)アゼルバイジャンブースにてポーチバッグ

をゲットしました。かわいい♡




2019年11月23日土曜日

"PERSEPHONE" New Director Award at Thessaloniki International Film Festival


The director Costas Athousakis from the film PERSEPHONE which I have appeared, received the New Director Award at Thessaloniki International Film Festival.

先日開催されたギリシャのテッサロニキ国際映画祭にてPERSEPHONEのCostas Athousakis監督が新人監督賞を受賞されたとのことです。

ひゃ〜スゴイ、お目出度い❣

いやでももうだってピカイチハイセンスの塊でしたからただただ納得・流石という気持ちと共に、嬉しすぎます。

2019年11月9日土曜日

サマリタンパース オペレーションクリスマスチャイルド シューボックス

ウィーンにて教会で催された、宣教団体サマリタンパースが行っているオペレーションクリスマスチャイルドのクリスマスシューボックスパッキング会に参加しました。

毎年世界中の飢餓の子どもたちに届けられるこの靴箱サイズのプレゼントBOXは2018年には世界100カ国以上に10,623,776箱が届けられたそうで、SNSからでもものすごく伝わってくる、子どもたちが歓喜している姿を想像すると詰めているこちらがワクワクとします!

シューボックスは男女どちらかと大体の年齢指定が出来、わたしは今回5歳〜9歳の女の子に届ける箱を詰めました。中身はぬいぐるみ、鉛筆、色鉛筆、鉛筆削り、ボールペン、ノート、シール、スーパーボール、ポーチ、コーム、シュシュ、ヘアピン、歯ブラシ、ティッシュ、タオル、固形石鹸と共に裏に手紙を書いた本のしおりとちょうちょの飾り。ポーチとシュシュは手作りでその他は既製品です。日本オフィスは昨年閉鎖してしまいましたが、アメリカのサマリタンパースでは寄付金を受け付けているとのことです。※詳細は以下、サマリタンパースジャパンのホームページをご覧ください。

サマリタンパースジャパン https://www.samaritanspursejapan.org

2019年10月13日日曜日

心が満たされている今書き留めておきたい


特にたった今この時点で何かあった訳ではないのだけれど、内側から心が満たされてる。

日々ただやれる事、やれる範囲内でのやりたい事をして、心に浮かぶ人と連絡取り合って、惹かれる人の生み出す言葉や作品を読んで見て、もちろん聖書も読んで、沢山寝て、静まる時を持って、祈って。という繰り返しをして。

今の今、ウィーンは2019年10月12日土曜日の夜中3時なのですが。

今最高に満たされてる状態!!

ずっとあんまり人に言わなかったし、なんか今、ここに書き留めておきたいと思った事書きます。

ブレーメンに住んでいた時のこと。

というか、ブレーメンに行く半年くらい前、ちょうど結婚して、それから2年間のこと。

凄く嫌・悲しいと思う出来事が立て続けに起こった。兎に角色々と重なった。

まぁ〜、一つ一つ、ショックを受けた。

その一つ一つのうちの一つが、たった1回起きたくらいなら気合いでいけた気がするのだけど、塵も積もればという風に、一つの時期に次々と重なってしまったので心を暗く侵食されていったように思う。

そしてその中でどんどん人間不信になって自分らしくなくなっていって、そんな時に出逢う人には当然その”らしく無い状態を”わたしという人間だと思われる訳で、なんだかヤダなぁ。違うのになぁ。でも今こうっていうのは違くないか・・・アレッこれが私なの?まじか・・・とまたショック・・な精神状態が続いてた。

わたしは神様のこと強く信じてるし、人生において一番辛かった時期よりは幾分もマシだったし、だから絶望の淵に立たされたのとは違った。

でも、それでもあんまり嫌なことが色々と続くと、やっぱ落ち込む。笑えなくなる。抱えきれなくなって諦めた物事もあった。やらなくてはいけないことだけを義務のようにして、後は鬱のように引きこもりただ寝込んでいた時期もある。その中で少なからず失ったものはあるけど、あそこでなんとか頑張り続けてたらダメになってたかもしれない。

でもあらゆるそれらのこと、今となれば良い学びだったと思う。

誰かを「その人はそういう人間なのだ」と決めつけることや「赦さないこと」「レッテルを貼ること」って、ただの諦めだし、過ぎ去った変えることのできない時間に留まることなんだなと、本当の意味でストンとわかった出来事たちだったというか。

そうやって敵か味方かみたいに分けちゃった方が楽だし、過去や今の自分を肯定できるような気がするかもしれないけど、それはジワジワと時間が経てば経つほど自分にとっても確実に重荷になっていくし、あらゆる可能性を狭めることになる。それから人に貼ったレッテルはその瞬間自分の目から見た"事実"かもしれないけど、真理ではない。

だって人は変わっていく。わたしだって10年前、3年前とは大きく変わったし、ホルモンバランスやその日の体調でも常に変わってるし、これからだって成長という意味でどんどん変わりたいし。でもこの世ではおそらく数十年内には死ぬ。わたしの場合は永遠を信じてるからそこに向かい、愛という普遍のものを芯と目標にして!進む。

その為にはいつまでも嫌な思いをしたことを根に持たないこと。罪を憎んで人を憎まず。反面教師として、自分に少しでも非が無かったかを見直す。そして経験した激しい怒りや深い悲しみは仕返しや八つ当たりに還元するのではなく、愛ある目標へのバネへと変える。

簡単ではないかもしれないし その感情が戻ってきたら都度忍耐が必要だけど、バネに変えられたならそれらはきっと驚くべき素晴らしいものとなる。

何度も同じようなこと書くけど、自分だって過去に色んな人を傷付けてきたと思うし、今だって気を付けてても知らない間に誰かのこと傷付けてることだってきっとあるということを肝に銘じて。

きっと一つ一つ説明しなくてはならない時が来ればいくらでも自己弁護が出来てしまうのだろうけど、それはきっとみんな同じだし、どうしたって自分視点での言葉になるから100パーセントの真実は神様にしかわからない。

その、”絶対的な客観視”で普遍的愛の見方をしようとしたら。

ジョンレノンとオノヨーコがImagineを歌ったように、そういう想像が愛の実現への一歩となる。私たちにはこの先"これから"しか無いことを見据えて。

その中でどうしても解きたい誤解もあるかもしれないけど、というか既に思い浮かぶ範囲内でもまぁ30年近く生きてればまぁ〜いろいろあったのだけど。

でもそれらを具体的に弁明すべき時はきっと今じゃないと思う。弁明しないこともある種のメッセージだと思うし、いつか時が来て必要だと思えば起きたことのありのままを思いっきり話したり書いたりするかもしれない。

ただそれでも、先に書いたようにわたしだって完璧な人間じゃないのだから、誰かのこといつまでも責める気はない。あらゆる報いは時にかなって正しく、神様がなさると信じてる。

悔い改めることを決意して神様"には"赦されてクリスチャンとして新生した今、できるだけ人に益となる言葉や態度を示していくことができるように生きていくこと・間違えることがあっても常に軌道修正していくこと・自分同様に不完全な人間を愛し赦していくこと。愛を持って生きること。を握っていくこと。それを死ぬまでしていく。それが何よりもの、一生をかけた夢で目標なのだと思う。

そういうことを溢れるほどに想っていたら、ふと心がいっぱいに満たされてた。 

残された、後何十年かわからないけど、この命を、神様の前に恥じない、良いことに使って生きたい。いつかこの世での終わりが来るとき、清々しい心で眠れますように。

自分らしさ取り戻せてきた気がするし、もっともっと取り戻せますように。

そしてもっともっと、神様がわたしに計画した人格や使命に近付いて、それになれますように。

ハレルヤ〜〜。

あっあと最近はね、その目的のために自分のやれること・やれそうなことを兎に角やろうということで、前にブログに書いたこと以上にもう片っ端からというか笑。妥協じゃなくて、これだ!と気持ちの進むことに対してガンガン攻めてます。

打率10%もあれば良い方。色々あった2年を通過した後という事もあり、ヒットしなくたってもういちいち落ち込まない。笑

というかもうすぐ30だぜ?別に歳は関係なくても、今やれること全力でやらないでどうするよっ。今、ブレーメンではどうしてもどうにもならなかったことだって挑戦できるチャーンス!だよ。

焦る必要はゼロだけど、色々言い訳して”やれるのにやらない”で居るのはただの甘え。やってて足りないことがわかればその都度補えばいい。

人に笑われても、時に嫌われたりしても、いい、というか、それはどう足掻いたって絶対ある。これからも死ぬまでずっと避けられないものだから。

自分が自分の人生に納得したいし、自分のする・生み出す何かが誰かの背中を押せるかもしれない・大きな意味で愛の実現になるかもしれないのなら絶対にやるべきなんだ。

わたしはわたししか居ない。一人一人が特別で誰かとの比較じゃ無い。その中の一人であるわたしをわたしが責任持って活かし生きるのだ。

暑苦しい。これこそわたしだわ。カミングバックアゲインだ。おかえりだ!




2019年10月12日土曜日

【仕事情報】たびこふれ 「ENJOY GERMANY ~ドイツを楽しもう!〜」

阪急交通社さんの旅行メディア "たびこふれ"にてドイツ観光についての連載をさせて頂いています。2回目・3回目はわたし自身が先月まで住んでいたブレーメンについて書きました🍀
特に日本では観光名所としてまだまだ知られていないブレーメンですが、あの"音楽隊"と共に可愛らしい童話世界が広がっており、知る人ぞ知る素晴らしい世界遺産もあります。そしてクリスマスマーケットは2018年ドイツで開催されたマーケット内の人気ランキング一位(詳しくは記事をお読み下さい😆)に輝いたという、実は結構アツい穴場スポットなのです。
小さな街なので観光には丸一日、できれば二日あれば十分です。お近くに行かれる際には是非立ち寄ってみて下さい💖

〜Vol.1 民間マーケットへ行ってみよう〜
〜Vol.2 ブレーメンを丸一日満喫モデルプラン〜
〜Vol3 2018年クリスマスマーケットで人気ランキング一位に輝いたブレーメン〜
https://tabicoffret.com/article/77167/

強くあれ、雄々しくあれ。



あらゆる悪意やそこから生じたであろう言葉。脚を引っ張ろうとする何か。

信じなくて良いし、従わなくて良いし、気にもしなくて良い!

良心から出た聴くべき批判は別として。

無論、聞こえてくる全ての声に影響されなくて良い。

妥協しちゃいけないし遠慮しちゃいけない、自分が自分に与えられた資質を愛故に最大限に活かすことを。

その能力を発揮しづらいとき、何か抵抗や圧迫を感じるとき、それは進もうとしてるときで

それは人生においてすごく大切なステージがそのもう少し先にあるということ。

孤独の中で根を張りつつ、真の仲間を探せ。同志と強く結び付け。

そして真っ直ぐ進め。


三つ撚りの糸は簡単には切れない(伝道者の書4-12)




恐れてはならない、おののいてはならない(ヨハネ1 4-18)



強くあれ、雄々しくあれ。(申命記31-8)


そんな風に言われているような気がする、近頃。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1-5)


誤解はいつか解ける。本当の事はいつか全て明るみに出される。


神様の目には既に全てが見えてる。

だから審判は自分でするのでなく、神様にお任せする。

赦す。愛する。

愛するに値しない、人間の目から見たらそのような者であっても。

自分だって原罪を持って生まれた者なのだから。

これまで多くの間違いを犯してきて、今だって間違える者なのだから。

それでも


わたしの目にはあなたは高価で尊い。(イザヤ43-4)



と神様は言ってくれる。



そのことを深く受け止め感謝して、自分もそのように人々を想う。



日々、悔い改め、新しく!


強くあれ、雄々しくあれ!

受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。