立場を利用して若者の心を乱し道を迷わせる大人たちの支配する場所が多過ぎる。あたかも正論のようなことを振りかざし 教えるでなく力づくで押し付ける。正論だとしてもそれを武器にして突き刺す。
勿論全てが大人のせいばかりではない。受ける側の問題もある。愛の鞭である厳しさをハラスメントとして取ってしまうのなら問題。
ただ、「最近の子は」とかよく言うけど、育った時代や環境の影響はあるんだと思うけど 説得力のある人間の言葉なら多少厳しくとも、若かろうと”ゆとり”だろうと関係なく聞く耳持つ人が大半だと思うよ。
ひたすら理不尽、凝り固まった価値観を押し付けられた 経験値の無い立場の弱い若者(若者に限らず)はただ受けるだけ。仮に言い返したら力で潰される・言い返すこと自体を社会人として等とまた責められる。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」って、たっくさん歌われてきたのに全っ然変わってない。「世の中そんなもん」だから「処世術を身につける」為に「ウソで塗り固められた関係」ばかりになる。顔は笑っていても心の底は憎い・虚しい・寂しい。いつも二心。ほんとは嫌い・ほんとは見下してる
愚痴・嫌味・皮肉・暴飲暴食・八つ当たり等にまた繋がって行く
現実は受け止める。そういう場所が大半だという事実も今、在る。でも、”それ故に”変えていく必要が今在る。ストレス社会、自殺者の多さ、悲惨だ。それも年々ひどくなっていってる。変えて行くより世渡り上手になった方がラクだからとそうなっていった結果がこれだ。
足引っ張ったって自分の価値は変わらない。”足引っ張る人”に自分が自分でしてるだけ 引っ張られた人がひとり居たってどうせ満たされない。だから虚しい作業を繰り返すだけ。そしたら信頼を失う。人がついてこなくなる。自分を慕ってくれてると思ってた人は実は「自分は嫌がらせをされたくないからゴマをすっておこう」かもしれない。そんな幻想に満足して腕を組む。自分がされてきたから自分もそれをしていくのか。
わたしの背中を押してくれた、してくれる大人は違う。悪いところは本当の愛を持って教えてくれる。ときには厳しく”叱って”くれる。若さ故の無知を怒る・バカにするのではなく、わかるように だけど甘やかすわけでなく指摘してくれる。
そういう人は信頼されてる・人がついてくる・幸せそうだ。
幸せだからそうできるのではなく自らが幸せになれるように知恵を働かせてるのだと彼らは言う。彼らも同じように理不尽な世の中に疑問を持ち、未だに変わらぬ心でそれを反面教師として社会と戦い続けていると。その人たちには「そのままの心で居ろ」と言われて来た。
自分はその人たちを信じるし、そっち側の人間になりたい。賢くなくても、”いいこちゃん”でなく 本当の意味で優しい人間で在りたい。そのための処世術を身につけたい。