2019年10月13日日曜日

心が満たされている今書き留めておきたい


特にたった今この時点で何かあった訳ではないのだけれど、内側から心が満たされてる。

日々ただやれる事、やれる範囲内でのやりたい事をして、心に浮かぶ人と連絡取り合って、惹かれる人の生み出す言葉や作品を読んで見て、もちろん聖書も読んで、沢山寝て、静まる時を持って、祈って。という繰り返しをして。

今の今、ウィーンは2019年10月12日土曜日の夜中3時なのですが。

今最高に満たされてる状態!!

ずっとあんまり人に言わなかったし、なんか今、ここに書き留めておきたいと思った事書きます。

ブレーメンに住んでいた時のこと。

というか、ブレーメンに行く半年くらい前、ちょうど結婚して、それから2年間のこと。

凄く嫌・悲しいと思う出来事が立て続けに起こった。兎に角色々と重なった。

まぁ〜、一つ一つ、ショックを受けた。

その一つ一つのうちの一つが、たった1回起きたくらいなら気合いでいけた気がするのだけど、塵も積もればという風に、一つの時期に次々と重なってしまったので心を暗く侵食されていったように思う。

そしてその中でどんどん人間不信になって自分らしくなくなっていって、そんな時に出逢う人には当然その”らしく無い状態を”わたしという人間だと思われる訳で、なんだかヤダなぁ。違うのになぁ。でも今こうっていうのは違くないか・・・アレッこれが私なの?まじか・・・とまたショック・・な精神状態が続いてた。

わたしは神様のこと強く信じてるし、人生において一番辛かった時期よりは幾分もマシだったし、だから絶望の淵に立たされたのとは違った。

でも、それでもあんまり嫌なことが色々と続くと、やっぱ落ち込む。笑えなくなる。抱えきれなくなって諦めた物事もあった。やらなくてはいけないことだけを義務のようにして、後は鬱のように引きこもりただ寝込んでいた時期もある。その中で少なからず失ったものはあるけど、あそこでなんとか頑張り続けてたらダメになってたかもしれない。

でもあらゆるそれらのこと、今となれば良い学びだったと思う。

誰かを「その人はそういう人間なのだ」と決めつけることや「赦さないこと」「レッテルを貼ること」って、ただの諦めだし、過ぎ去った変えることのできない時間に留まることなんだなと、本当の意味でストンとわかった出来事たちだったというか。

そうやって敵か味方かみたいに分けちゃった方が楽だし、過去や今の自分を肯定できるような気がするかもしれないけど、それはジワジワと時間が経てば経つほど自分にとっても確実に重荷になっていくし、あらゆる可能性を狭めることになる。それから人に貼ったレッテルはその瞬間自分の目から見た"事実"かもしれないけど、真理ではない。

だって人は変わっていく。わたしだって10年前、3年前とは大きく変わったし、ホルモンバランスやその日の体調でも常に変わってるし、これからだって成長という意味でどんどん変わりたいし。でもこの世ではおそらく数十年内には死ぬ。わたしの場合は永遠を信じてるからそこに向かい、愛という普遍のものを芯と目標にして!進む。

その為にはいつまでも嫌な思いをしたことを根に持たないこと。罪を憎んで人を憎まず。反面教師として、自分に少しでも非が無かったかを見直す。そして経験した激しい怒りや深い悲しみは仕返しや八つ当たりに還元するのではなく、愛ある目標へのバネへと変える。

簡単ではないかもしれないし その感情が戻ってきたら都度忍耐が必要だけど、バネに変えられたならそれらはきっと驚くべき素晴らしいものとなる。

何度も同じようなこと書くけど、自分だって過去に色んな人を傷付けてきたと思うし、今だって気を付けてても知らない間に誰かのこと傷付けてることだってきっとあるということを肝に銘じて。

きっと一つ一つ説明しなくてはならない時が来ればいくらでも自己弁護が出来てしまうのだろうけど、それはきっとみんな同じだし、どうしたって自分視点での言葉になるから100パーセントの真実は神様にしかわからない。

その、”絶対的な客観視”で普遍的愛の見方をしようとしたら。

ジョンレノンとオノヨーコがImagineを歌ったように、そういう想像が愛の実現への一歩となる。私たちにはこの先"これから"しか無いことを見据えて。

その中でどうしても解きたい誤解もあるかもしれないけど、というか既に思い浮かぶ範囲内でもまぁ30年近く生きてればまぁ〜いろいろあったのだけど。

でもそれらを具体的に弁明すべき時はきっと今じゃないと思う。弁明しないこともある種のメッセージだと思うし、いつか時が来て必要だと思えば起きたことのありのままを思いっきり話したり書いたりするかもしれない。

ただそれでも、先に書いたようにわたしだって完璧な人間じゃないのだから、誰かのこといつまでも責める気はない。あらゆる報いは時にかなって正しく、神様がなさると信じてる。

悔い改めることを決意して神様"には"赦されてクリスチャンとして新生した今、できるだけ人に益となる言葉や態度を示していくことができるように生きていくこと・間違えることがあっても常に軌道修正していくこと・自分同様に不完全な人間を愛し赦していくこと。愛を持って生きること。を握っていくこと。それを死ぬまでしていく。それが何よりもの、一生をかけた夢で目標なのだと思う。

そういうことを溢れるほどに想っていたら、ふと心がいっぱいに満たされてた。 

残された、後何十年かわからないけど、この命を、神様の前に恥じない、良いことに使って生きたい。いつかこの世での終わりが来るとき、清々しい心で眠れますように。

自分らしさ取り戻せてきた気がするし、もっともっと取り戻せますように。

そしてもっともっと、神様がわたしに計画した人格や使命に近付いて、それになれますように。

ハレルヤ〜〜。

あっあと最近はね、その目的のために自分のやれること・やれそうなことを兎に角やろうということで、前にブログに書いたこと以上にもう片っ端からというか笑。妥協じゃなくて、これだ!と気持ちの進むことに対してガンガン攻めてます。

打率10%もあれば良い方。色々あった2年を通過した後という事もあり、ヒットしなくたってもういちいち落ち込まない。笑

というかもうすぐ30だぜ?別に歳は関係なくても、今やれること全力でやらないでどうするよっ。今、ブレーメンではどうしてもどうにもならなかったことだって挑戦できるチャーンス!だよ。

焦る必要はゼロだけど、色々言い訳して”やれるのにやらない”で居るのはただの甘え。やってて足りないことがわかればその都度補えばいい。

人に笑われても、時に嫌われたりしても、いい、というか、それはどう足掻いたって絶対ある。これからも死ぬまでずっと避けられないものだから。

自分が自分の人生に納得したいし、自分のする・生み出す何かが誰かの背中を押せるかもしれない・大きな意味で愛の実現になるかもしれないのなら絶対にやるべきなんだ。

わたしはわたししか居ない。一人一人が特別で誰かとの比較じゃ無い。その中の一人であるわたしをわたしが責任持って活かし生きるのだ。

暑苦しい。これこそわたしだわ。カミングバックアゲインだ。おかえりだ!




2019年10月12日土曜日

【仕事情報】たびこふれ 「ENJOY GERMANY ~ドイツを楽しもう!〜」

阪急交通社さんの旅行メディア "たびこふれ"にてドイツ観光についての連載をさせて頂いています。2回目・3回目はわたし自身が先月まで住んでいたブレーメンについて書きました🍀
特に日本では観光名所としてまだまだ知られていないブレーメンですが、あの"音楽隊"と共に可愛らしい童話世界が広がっており、知る人ぞ知る素晴らしい世界遺産もあります。そしてクリスマスマーケットは2018年ドイツで開催されたマーケット内の人気ランキング一位(詳しくは記事をお読み下さい😆)に輝いたという、実は結構アツい穴場スポットなのです。
小さな街なので観光には丸一日、できれば二日あれば十分です。お近くに行かれる際には是非立ち寄ってみて下さい💖

〜Vol.1 民間マーケットへ行ってみよう〜
〜Vol.2 ブレーメンを丸一日満喫モデルプラン〜
〜Vol3 2018年クリスマスマーケットで人気ランキング一位に輝いたブレーメン〜
https://tabicoffret.com/article/77167/

強くあれ、雄々しくあれ。



あらゆる悪意やそこから生じたであろう言葉。脚を引っ張ろうとする何か。

信じなくて良いし、従わなくて良いし、気にもしなくて良い!

良心から出た聴くべき批判は別として。

無論、聞こえてくる全ての声に影響されなくて良い。

妥協しちゃいけないし遠慮しちゃいけない、自分が自分に与えられた資質を愛故に最大限に活かすことを。

その能力を発揮しづらいとき、何か抵抗や圧迫を感じるとき、それは進もうとしてるときで

それは人生においてすごく大切なステージがそのもう少し先にあるということ。

孤独の中で根を張りつつ、真の仲間を探せ。同志と強く結び付け。

そして真っ直ぐ進め。


三つ撚りの糸は簡単には切れない(伝道者の書4-12)




恐れてはならない、おののいてはならない(ヨハネ1 4-18)



強くあれ、雄々しくあれ。(申命記31-8)


そんな風に言われているような気がする、近頃。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1-5)


誤解はいつか解ける。本当の事はいつか全て明るみに出される。


神様の目には既に全てが見えてる。

だから審判は自分でするのでなく、神様にお任せする。

赦す。愛する。

愛するに値しない、人間の目から見たらそのような者であっても。

自分だって原罪を持って生まれた者なのだから。

これまで多くの間違いを犯してきて、今だって間違える者なのだから。

それでも


わたしの目にはあなたは高価で尊い。(イザヤ43-4)



と神様は言ってくれる。



そのことを深く受け止め感謝して、自分もそのように人々を想う。



日々、悔い改め、新しく!


強くあれ、雄々しくあれ!

受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。