2019年7月21日日曜日

あらゆるメディアを見ては辟易とする / 信仰生活のこと



心健やかに生きるため、常日頃から情報の節制を心掛け実践している。

但し興味関心のある情報は勿論、災害や重要なニュースは知りたいという思いから、昔一時期は辞めていたFBもTwitterもInstagramも見ていて、それでもあらゆる機能を駆使してちょうど良い位の情報量に調整しているつもり。

それは数ヶ月前からは友人知人の投稿ですらその人のページをわざわざ見に行かなければタイムラインに流れてこないようにしてるくらいの最小限。

・・なのだけれど。

日々、SNSを一通り見た後、ドッと疲れる。辟易とする。

勿論わたし自身、メディアは良質な情報を見るために利用しているし、それらはそこにちゃんと存在していて、日常の楽しみになっている。

反面、節制しても節制しても、全くに求めていない余計なものが紛れ込んでいたり、情勢も暗いニュースばかりが目立つ。ネガティブなものというのはそれだけで心にインパクトを残しやすいから、例えその量が少なかったとしても尾を引くことが多い。

そんなだから、アプリケーション自体を消して情報自体を遮断する日もあるけど、この時代に生まれた人間として最低限日本と世界のあれこれを知っていたくて、ほんの微力だとしても知った上でこの世が良い方向に行くことを目指す歯車のひとつになりたくて、完全離脱はしていない。

けれども。

良くも悪くも触れたもの1から100以上を受けてしまう性質なので、自分の生活にそれがマイナスになるのであれば、やはり暫くの間はかなり距離を置いた方が良いのかもしれない。と今日改めて深く実感をした。

何かニュースを見たときに、詳細を、世論はと深掘りしてしまう、探究心というのか現代病的な癖も、行き過ぎてしまう時がある。

思えばハタチを過ぎてから平均して継続して最も幸福を感じていた時期というのは、世間の情報、特にSNSをほぼ抑制し、自分の生活に集中しクリスチャンとしての信仰に重きを置いていた時期。その頃の日記を読み返しても充足してる。

あの時期、自由な時間が出来れば ソーシャルメディアを見る代わりに聖書を読み、聖書ラジオを聴き、一人で祈り、又同志の人々と共にも身近なことから世界中の色々なことについて祈った。

当然多くの時間を費やしたものから人は多くの影響を受けるので、それらから得た良質な知恵や愛がまんま全ての実生活影響していたからこそ精神的にも強かった!

余計なものが入ってきづらい分感性が研ぎ澄まされていたし、例え辛いことがあったとしても切り替えが出来たし安らぎもあった。他のマイナスなものに引っ張られることがなかった。一日一日を確実に自分に委ねられたもののみに集中しめいいっぱい生きた後、疲れきった体をベッドに委ねよく寝れた。

因みにその頃舞台は楽しくやっていたのだけどアルバイト先の環境の酷かった時期で、又関東一人暮らしの夢追い人だったので常に日暮らし状態の超貧乏生活だった。だから"表面的に見れば"恵まれていた時期では断じてなかった。

ただその中で信仰に支えられていることを存分に体験して、又愛と赦しについて深く想いを馳せ学べたことを今では凄く感謝していて、状況や環境によらず信仰を第一にすることが自分にとって如何に意義のあることか身を以て体験することができた。

とはいえその頃だって日常生活全てがイエスキリスト一色!聖書のみ!というわけでなく、演劇への勉強であり趣味のため映画を観たし本も読んでた。世捨て人になったわけでもないので会う人や連絡を取る人からだってあらゆる情報が入ってくる。通勤中の電車の広告や聞こえてくる声、アルバイト先のお客さんからとか、いくらでもね。

それでも、ネットから溢れ流れてくる情報をほぼ遮断し信仰を一にするだけで全然違った。

そうだったそうだった。と、今書いてて思い出した。

クリスチャンとしては別に誰に強制されるでもなく自発的に、いつだって信仰的な生活を第一にしたい思いがあるのだけど、現に世の中で生きてるとあらゆるものに影響を受けるから、それをするためには強い意識と自己管理が必要になってくるんだよね、それが最近少し甘くなっていたように思う。

・・・というわけで、自分の元気を少しでも奪うものからできるだけ離れる。情報は最低限の情勢と個人的に信頼を置いている人たちの発信するものをたまぁに見るくらいにする。

けれどもこのブログを書くことや、かなり気を付けた上でのネットはまぁオッケー!という緩めな感じで。継続していくためにね☺︎

2019年7月20日土曜日

アトピーにシンプルな固形石鹸


私の体の一部分に結構難敵なアトピーがあるのだけど、ボディソープを純粋な固形石鹸にしてみるとよくなるかもしれないとのことで、してみた。

・・・するとなんと痒みとそれに伴う炎症がかなり良くなった。えっわかり易い、こんなモン!?なんて。

幼い頃からではなく、日本での超貧乏時代に発覚したアトピーのため、診療代金の支出が辛く皮膚科へは何度も行かなかった。

ドイツに来てからは一度だけ診てもらったけど、炎症があるのは体の極一部分なので、かなり強い痒みに悶える時があってもごまかしごまかしで「まぁまた皮膚科に行くほどでもないかな・・・?」とここまで来て、だからアトピーに関する知識も浅いままだった。

固形石鹸は近所のドイツに多々あるBIO製品ショップにて、僅か1.5ユーロ(200円くらい)で売っていたオリーブオイル石鹸。これがめちゃくちゃ良い・・・!
痒みが治まったことだけでなく、洗い上がりの何とも心地良く、突っ張らないけど程よく肌がキュッとすっきりとする。

普段ボディソープは、肌に優し”そう”かどうかと香りを優先・使いやすいので液体状のソープを選ぶ傾向にあった私だけど、その条件のうちでは何を使っても、保湿成分が含まれている故になのか?、香りには癒されてもなんとなく洗い上がりに物足りない感じがあった。

とはいえ常々不満に思ってたというより、いま思い返してみれば。なのだけど、今回使ってみた固形石鹸は「洗った!綺麗になった!そして余計なものが残ってない!」という、いつぶりなのかわからないような爽快感に感動・・・

思わず洗顔にも使ってみた。すると、わざわざ使い分けていた洗顔専用ソープより断然良いのでは・・!と良い意味でのショック。

硬水だと汚れが落ちにくいっていうのを実感してたんだけど、落ちてる手応えとその後も乾燥しない!

極論肌にどう影響しているのかはわからないけど・・試しに暫し続けてみます♫

2019年7月19日金曜日

心地よい距離感。

ここ暫く、「数ヶ月前に始めたブログを元のブログに移して統一しようかな(SNSのついたブログからこのブログへ)」とぼんやり考えながらも気の移ろいやすい自分を知っているので暫く腰を上げずにいたのですが、

今朝「とりあえずブログは移そう。」と判断し、夕方家に帰ってきた後使っていた自分のブログアカウントにログインする前に、同じブログサービスを使っている方のブログをちょこちょこ読んでみた。

ら、なんというタイミング!ブログサービスが終了するらしく皆さんブログを引っ越し始めているのだとか。

8月31日には個人ブログが完全に消えるらしい。ひょえ〜、まだ大して多くの記事を上げてはいなかったものの、気付いてよかった・・・

そうだよね、ブログサービスが終了になればブログは消えるんだ。だから1年半前に個人ドメイン取得したのもあったんだ、でも結局色々あってそのブログはすぐにお蔵入りして、結局最終最後の今現在、このブログに戻ってきた。

Blogspotさんはどうかサービス終了しないでください・・・・。な〜んて、そうなる時が万が一あった時には今度こそブログ用ドメイン取り直します。

さてそもそもブログを移そうと思っていた理由がありました。以前のブログサービスにはSNSが伴っており、それが良くもあり私にとっては実は4年前に書いた"現代”に生きながらの取捨選択 でも似たようなことを書いています。

この時はラインとFacebookをやってて消した、半年くらい。その後またどちらも復活してInstagram始めたり違うブログやったりと まぁ〜飽き性というか好奇心が移ろいやすいというか。なのですが。

その間にSNSを通して楽しんだこと・助けられたこと・お世話になった人たちに報告したいことなどあったので続けていたのですが、その後数年でまたいろいろなことがあり、あっという間に30歳が目前に迫ってきました。

・・・なんと申しましょうか、30という数字はただの目安なのですが、以前より自分の生きていく環境や方向性が定まってきたというのでしょうか。パートナー、生活する場所、主に使う言語、やっていきたいことの中でも特にやっていきたいことなど。

これまではあちこちで色々なコミュニティや場所に出かけ、本当に沢山の人々との出逢いに恵まれました。めいいっぱい働いてめいいっぱい遊ぶ中で削られ 揉まれ 試行錯誤を繰り返し 選択を繰り返し、これからも死ぬまでそうなのですが、これからはこれまでの人生で選び取ったものを前提として、もっと!自立的に事を行っていく時期に入ったのだなぁと思っております。

最も、自分のこだわりややりたい事があると そしてそれが深まり自分の環境や心持ちが変わると、どうしても波長が合わなくなっていく場が度々に出てくる。それというのは誰が悪いでもなく 誰しもがお互い様で だから悲観視することでは全然ないはずで むしろ行くべき方向性が指し示されたとほぼ同等のことで 良いこととすら言えると思うのだけど、気軽に繋がれる時代になったからこそ、恋人でなくとも昔なら自然にあった”別れ”が自然でなくなってしまう。

少し距離を置こうとするだけでも時にあまりに直接的でわかりやすい、必要以上の方法になって 互いに傷付け合ってしまうかもしれないし、もはや違和感があるのにその事に気付かず、貴重な人生の時間を惰性でやり過ごしてしまうこともあるかもしれない。

勿論願わくばずっと仲良くしていたい・繋がっていたいと思う人たちも居るのだけれど、婚姻・親族関係を除いた人間関係は(私はクリスチャンなので婚姻関係を守り通すことを重要と考えます)常に変化し続けるのが自然と思っているし、そこに無意識にでも縛られていると自分の人生にとって本当に必要で大事なものを失うことがあると思う。

お互いにふと会いたい・連絡を取りたいと思える相手をそう思える瞬間、ちょうど良い距離感で付き合う。そして長らく時を一緒に過ごすかもしれないし、仮にすごく離れた時があったとしても数十年後にまた惹かれ合うかもしれない。バッタリ会えてしまうかもしれない。縛るでも遮断するでもなく飽く迄も流動的な関係。

・・・これが良い。

だから子供の頃口にした「ずっと友達で居ようね」は、今では「語り合い笑い合えた時間が宝。ありがとう。がその都度あって、それが繋がれていくか一期一会で終わるかはわからないけどそれで良い。」のだと思うし、どんな距離感になったってあなたの幸せを願ってるよ。という感じ。

魂の距離や思考のニュアンスは簡単に計れない・伝えられないものなのに、そこをSNSのような不自然的なものが媒介すると誤解を生み合う機会が大幅に増える。そういった事を解決するような機能は増えてても未だ現実に追いついてはいないし、どんなに想像力を駆使してもコントロールしずらい範囲にまで及ぶ。だから嫌。

以前にも書いたけど、自動的に流れてくるわけでないテキストメインの独立ブログなら、そこはだいぶ緩和される。本当に見たい人だけが見てくれるということに安心もする。何となく無難ないい子ちゃんを演じてしまいがちなソーシャルの場に書きづらい事も、ここにならある程度本音が書ける。

思考を止めたくない。自分を見失いたくもない。「他人の人生を眺め続けるのが大半の人生でした。」にしたくない。

でもSNS、今迄めっちゃ楽しんだ!ありがとう。

P.S. 先日始めたばかりの Es werde Licht.のインスタグラムアカウントは運営を続けますが、他のSNSはグンと距離置きます。

2019年7月12日金曜日

オランダへ。〜道中は思考中。〜

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仕事の為オランダのアメルスフォールトへ向かう道中、無事にエンシェンデという駅での乗り換えが済んだところです、既にオランダ。写真は出発前のドイツの自宅庭、雨ザーザーでした。

"無事に"と書いたのは、実は一番最初に乗り換えなければならなかったオスナブルックという駅を乗り過ごし、ミュンスターで行程を変えるというハプニングがあったからです。

わたしの人生のうちでこのようなドジは日常茶飯事なので、そのたびガッカリはしつつも「またやっちゃったか〜」位の気持ちですぐに切り替えられるのですが、身近な人たちは気が気でないようで、遠くに行く・新しいことを始めるというときには結構な心配をされます。😹

今回幸運なことに、日本で言う新幹線の座席指定チケット使用で違う行程になったものの、罰金などは発生しない模様。

そしてミュンスターからエンシェンデへ向かう途中の畑で野生の鹿の親子を発見🦌🦌。最高に可愛かった、、

こんなことがあるとハプニングの"おかげ"と思え、そんな旅が楽しくて大好きです。まぁおかげなんて、そりゃ後付けなんだけど。

そして電車内の横向かい側の席には手話と携帯の文字を使って話ししている初老カップルが。片側の方が必要としているのではなくお二人ともが必要として使っているよう。

たまにこちら側の窓を指さしたりしているので何を話してるんだろう?と想像してみる。

最初はなんとなく怒っているようにも見えたけど、そういう訳でもなさそう、というくらいで、勿論真偽の程はわからない。

既にオランダであるエンシェンデでは降りてすぐ大麻の匂いがした。

ご存知のようにドイツは合法じゃないのだけど、それでもブレーメンを歩いていると街中・公園、あらゆる場所から匂いの漂ってくることが度々にある。

わたしにとってはかなり不快な香りのため、すぐに息を止めてその場を離れ深呼吸する。ここでも同じようにそうする。

・・などと、幾度となく思考・5感の働き続ける道中。

私は同じ場所でルーティンライフを繰り返すと腐る性質のようで、こうして新しい仕事が決まり特に長い道のりを移動していると水を得た魚のように元気になる。

その間は普段なら見過ごしてしまってるかもしれない光景への感動や思い入れも強くなる。

わかりやすいなぁ〜自分。これからもこういった仕事に恵まれたら良いな。と思う。

今回はコマーシャル撮影の仕事なのだけど、今週急なオーディション情報と共に動画のみの応募でいきなりに決まった。

こう突然決まることもあれば、必死にもがいても全く決まらない時期も往々としてあるから、この仕事に関しては本当に、仕事が決まるまでの自分ではどうしようもない部分の運やタイミングの大きさを感じる。

さぁ次の仕事が決まったぞ〜と思っても、またいつどんな仕事に出逢えるかわからない。ずっと先かもしれない。もうない可能性だってある。

そんな日々だけど、必ずまた何か素晴らしいチャンスが巡ってくる!と信じて、その間に違う仕事をしたり 感性の行く方へ動いてみたり、前回の日記のように挫けそうになったり。

「一体いつまでこんな毎日を続けるの?」「これを最後にしようか」と毎度のように考えても、仕事が決まった瞬間、こうして長距離を移動している道中のワクワク、仕事の共同作業と化学反応、終わった後の達成感などの醍醐味を味わったらまた抜け出せなくなる。

こうなると、まだ、まだ、もっとステキな機会が巡ってくる"かもしれない"なら、惨めな気持ちになったり苦しくなる時があっても、待つ甲斐があるはずなどと思ってしまうし、いつだって仕事の後に反省が残ったりして次への課題もできる。と、嫌な緊張感と難しさを含めて他にここまで自分を楽しませてくれる何かにまだ出逢ってない。

あるのかもしれないし、ないのかもしれない。あったとしても、まだこれが楽しいんだ。

を繰り返してる。

その後Es werde Licht.での友人デザイナーとのコラボレーションも結構順調に進んでる。

日本での展示を目指して製作を進めているのだけど、昔繋がった縁によってもイメージが明確になってきていて、更に作りたいもの・伝えたいことの友人との一致がすごくあって、きっと良い作品と展示になると思うし、絶対そうしたい。

お互い自分の家庭や仕事の合間合間に、それでも時間をかけて細やかな話し合いと試行錯誤を繰り返しながら進めてる。たのしい。たのしみ!

そして日々の生活。パートナーが居ると時に衝突もするけど、彼には正直過ぎるくらいになんでも話せるし話したくなるし、一生を約束した人と共に同じ信仰と志を持って歩む素晴らしさを実感する。

こんな今の自分を、昔やさぐれていた自分に教えてあげたい。

あなたの夢や理想は思った通りに思った時期には叶わないかもしれないけど、想像してなかったような気持ちや幸せの中に居るし、こっちのが想像してた日々より断然良いよ!と伝えたい。

公私ともに、これからもたくさん色んな試練を通って 踏ん張らないときもあるだろうけどね。

ホント人生、悪いこともあれば良いこともしっかり用意されてる。

日本に住んでいた頃お世話になった70近いマダムが、「人生を思い返したり周りを見ていると、不思議なことにちゃ〜んと帳尻が合うようになってるのよねぇ。」と会う度言っていたのを思い出す。

世界中を見渡せば不条理で不公平に見える世の中でも、最期にはわたしも同じように思うかなぁ。

例えばわたしの兄は早くに癌の闘病生活を経験した後亡くなってしまったけど、彼はその短い人生とにかく周りの人たちに愛されていたし、

遺された方は寂しくて 又世では「若いうちに亡くなって可哀想」という見方をされがちだけど、実は早いうちに天国に行って最高に楽しんでるのかもしれない。などと最近は思ったりしてる。

会って色んなこと話したいなぁ。

旅中、そんなあれこれを思い巡らせて。

もうすぐアメルスフォールトで、宿泊するホテルへ行くため最後の乗り換え。今度はミステイクしないように気をつけます!

受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。