2013年5月31日金曜日

I and I

Are you and you Best friend?


INDIAN LADY STORY 〜a place of my own〜

{Human sometimes feel alone
 So,All people looking for "a place of my own"}
Thinking about those sort of things, I made cloth calls"INDIAN LADY STORY".
It is all handmade knit.
 Then,I wear it and I go to somewhere in Japan
and Take a PICTURE
※Of course Keep going it.


I hope All people can find out "a place of my own".
and I'd like to tell Japanese culture to all over the world.

made by YURINO2012
model YURINO

2013年5月28日火曜日

展望


肯定的な人間で在りたい。謙った心を持った人間で在りたい。器の大きな人間になりたい。

世界を舞台にして表現者として生きていきたい。
愛と希望と平安への道を照らす光のような役割をしたい。

名誉やお金を得ても私利私欲を満たすことを目的として使うのではなく
自分以外の人や社会の益として使うからわたしの幸せにもなるという循環を作っていきたい。

きっと多くの人が嘲笑うだろう
きっと多くの人が根も葉も無い事を言うだろう
きっと多くの人がわたしの足を引っ張ろうとするだろう

晒しものにされるってのはそういうことだ

沢山のリスクを背負ってもいい、もう色んな事見て見ぬ振りなんてゼッタイしたくないんだ
そして絶対にやり遂げる

だから本当にどうでもいいんだ 誰かの噂話、悪口、その場しのぎのような色恋、見栄張り合い、自尊心の満たし合い、嫉妬 
興味が無い だって心が曇る。後味悪い。自分や現実を真っ当に見れていない、又は自分という人間が愚かだという証をしているようなもの。ただそれだけ。これほど自分を浪費することってあるのかと思う。

よく言われる「なんでそんなに楽しそうなの」

嫌なことはいくらでもある、頭にくるような事も悲しい事も傷付く事も。だから実際は勿論怒るし悲しむし傷付くしそれは間違ってもなければおかしな感情でもない、押し殺さないほうがいいときもある。でもあんまり負のエネルギーを使っていいことって少な過ぎるから、それを引きずらず感性を研ぎすませて楽しいことを見つけることの方が多い。

彼氏というのもピッタリな人が居たら幸せだなといつも思うし、恋をしてるときもあるけど 先が見える、一生一緒に居たいと思える人(付き合っていくうちにわかるものでもあるけど)がいいし、セックスも結婚するまでする気がない。愛は感情だけじゃなく、理性でもあると思ってるから 両方が心から良しとして結婚して、愛のあるセックスをして子供が欲しい。っていうのがわたしの考え方だから。これはもう時代がとかお固いとかなんとか言われても変えるつもりのないこと。

そしてわたしはまだ洗礼は受けてないけど、クリスチャンであるから神から祝福された人生を送りたいから。わたしの考えのベースは聖書に基づく。日本では稀だし、宗教概念というもの自体が浸透していない部分やそれに近付いてはいけないと思う価値観(メディア等の情報コントロールもろもろによってもね)があるけど、わたしはこれは誰かに強制されたわけでは無いし親戚にもクリスチャンは居ないし、強いて言うのならば幼稚園がキリスト教の幼稚園だったというのは大きいかもしれない、だけどわたし自身がただひたすら何年間もあらゆる哲学、思想、色んな宗教、スピリチュアル、占いその他もろもろを独自に学んで判断した事。

前の日記に書いたようにわたしは昔から目に見えないものがあることを身を以て体験して確信しながら生きてきたし、だからそういうことに興味を持つのは当然なことで、だけどどの教えも100パーセント納得がいかなかった。真理自体が無いという論もあるけどわたしの場合は真理はひとつということだけは譲れない想いがあったから、追求したかった。

だから勿論 無神論者の記述や哲学的考え方科学的考え方も沢山読んだり調べた上でよくよく考えて世界を自分を見つめて
その結果自分が行き着いて本当に唯一納得出来たのが聖書で信じられたのがイエスキリストだった。

留学も、実を言うと一番楽しみにしていたのはキリスト教文化が根付いている場所、人と共に生活することだった。またクリスチャンに留まらず、他の宗教や文化背景を持った人たちとも接して語り合いたかったから。実際にそれが出来た素晴らしい期間だった。

それから面白いなと思うのは、わたしの好きな人や好きな作品を作った人はクリスチャンだったり聖書を学んできた人が多いということ。(For ex.やなせたかし、サンテグジュペリ、ホイットニーヒューストン等)

逆に、自分の信仰故に興味を持ち始めたのが三浦綾子さん。

髪をバッサリ切って黒くしたのにも理由がある。洋服3年間学んで、学べば学ぶ程、色んなファッションを試せば試す程
奥深さや楽しさを学びながらも相反する気持ちが芽生えて「どーでもいいよそんなこと」と思う自分も出て来た。
お洒落は大好きだしショッピングは至福だけど、それに比例して

心のどこかで、ファッションが無くなったとき、どうなるの?って、怖さがあったんだよ。若さだっていつかは必ず衰える。どんどん変わっていけばいいけど、変わらないわたしって一体何なの、何が残るの自分にって、そっちの方が全然重要だと思った。

髪型変える度洋服変える度わたしの見た目の印象は驚く程変わって、人々の反応も驚く程変わる。お洒落してる時は優遇されて してないときは無視されたり、ブロンドヘアでちょっと派手な化粧と格好してた時に話しかけたら パン屋のお姉さん明らかに超怯えちゃってたり。

だから「ゆりのと言えば○○」みたいなこと言われるたびに、「じゃあそうじゃなくなったら?」って、思ってた、相手はそこまで深い意味持って言ってないと解っていても。

だってわたしのファッションや好み、性格だってある程度は確実に変わっていく。だからその「ゆりのと言えば」ってなんなの?って思うんだよ、そんなのあまりに不安定過ぎる個性だな!と。

極端に言えば例えばもしわたしが全身大火傷して容姿が変わったら?例えばもし声を失って喋る事が出来なくなったら?例えばもし腕を無くして何も作れなくなったら?
勿論そうなったときにしかわからない だけど

例えば恋人が居たとしてその人はそういうことがあってもわたしのことをずっとアイシテくれるのか 本当に"愛してる"のならきっと愛し続けてくれるのだろう "愛してる”ってそういうことだと思ってる

例えば表現する手段を何か無くしたら他に何か手段を見つけて自己表現をするんだろうから
実際のところ"何で何をするか"なんていうのは手段でしかなくて、いやもちろんそのチョイスだって個性だけど、もっと奥底にある、何で何をしても”ゆりの”である"魂"が最も重要なわけで。

だからいつも思う。表現する”手段”という意味で技術的なものや表面的なものを磨いていくのもとても大事なことだけれど、もっと奥の深い深い"魂"こそ、常に磨きたい、進化させたい。探究したい(?)と。

話は戻り、ファッションというのは本当に物凄い表現手段だと思うから注目しているし勉強しててよかったしこれからも何かしらで携わって行きたいけど
あのときはそれで誤摩化せてしまっている部分を一度大半取り払って自分と向き合いたかったから髪を黒くしてバッサリと切った。赤ちゃんぶりの短さ。で、耳の横は刈りあげた。(本当は坊主にしたかったけど大目立ちするほどだとまた目的主旨がずれてしまうので一部分の2ミリ刈り上げ程度にしておいた。)

見た目だけと言えど、心まで丸裸になっているようで色々なことを見つめ直せた凄くいい機会になった。ファッションについても見つめ直せた。だから今は前よりもずっとファッションを楽しめてるし、これからファッション表現をしていくにあたってもっと勉強していきたいとも思う。

そして自分は恵まれてるか否か?
わたしが思うに、わたしは自分がやりたいことを叶えるという点ではある程度恵まれてると思う。というかそもそもそれはあらゆることを想定して決めた方向性であって、けど頭で考えて決めたというよりもっとナチュラルな流れ。言うならば宿命だと思ってる。大きな采配による、意志。

10代の大半は本当に苦しい時を過ごした。傷やトラウマさえあれど、でも今はそれがあったからこその恵みをいっぱい受けている。これからのことは誰にもわからない。

わたしは世界中の喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、習慣、文化、価値観、考え方、沢山知りたい。世界視野で物事や人を捉えられるようになりたい。

何故世界を基準に置いて考えるのか。この世にあるたくさんの事実を知る事は、自分というのがどういう者で何のために生かされているのかを知るために、幸せになるために、またわたしがずっと望んでいることである「人を良い方向に導くこと」のために凄く大事なことだから。良い方向って一体何なのか、ちゃんとわかりたい。

今の時点で言えるのは、自分と他人を比べて嫉妬したり悲観したりしてたらきりがないことくらい大人になれば何処かでわかっているのにそうしてしまうヒトたちが幸せになるために周りができることとしては、間違っていると指摘して説得することじゃなくて、その人たちに与えられた素晴らしい賜物を見つけてあげること、ただ愛すること、愛し合うことが一番だと思う。月並みな言い方かもだけど本当に思う。

でも人によって愛の表現や感じ方は少しずつ違うからこそ異人種(国が違うという意味だけでなく)の価値観考え方も理解出来る心の持ち主になりたい。神様のように全知全能は無理でも、自分がなれる限りの器になりたい。

愛が足りないとき、自分が自分であることによって得たものをないがしろにするように、自分が自分にあることによって得られなかったものばかりに着目してしまう人間の癖。わたしにもやっぱり時たまあって、だけどその度それは「傲慢な考えだな」と思うし、それはやっぱり愛が足りてない時だ。

十人十色と言うようにそれぞれ持っている要素は当然平等じゃない。だからこそ面白く、だからこそ世界が成り立ち、だからこそ生きてる意味を考える、何かに向かって生き続ける。

もしわたしがわたしで無ければ今居る友人たちはわたしの周りに居ただろうか、夢は?知恵は?今ある忍耐力やタフさは?あのときの笑顔は?と。

自分の何かや今を否定するたびに自分の今まで出逢った、築いた、大切なものを否定してることは忘れたくない。

広い視野で世界を、自分を、他人を見たい。肯定的に生きたい。

愛に溢れた人間、人々に奉仕する心を持った人間で在り続けたい。それがわたしにとって一番大事な事。

仕事や自分自身の状況がどうなったとしても、それは揺るぎなく持ち続けたい。それがわたしの生きる意味だ。特には、いわゆる弱者、虐げられて世の中的には見向きもされないような達人の味方で居たいし、優しく居続けられる人間で在りたい。

そんな希望を持ってわたしは世界を舞台に人々に平穏と光をもたらす人間として生きていきたい。
決心が出来てる。幼き自分の頃から進化し続けた揺るぎない想い。

そのためには沢山の努力と忍耐が必要で きっと苦労も並大抵のレベルじゃないだろうし沢山泣く思うけど、やるんだよわたしは。だって他に誰がわたし役やるの?って感じ。

わたしはわたししか出来ないんだから。わたしの可能性はわたしがわかってあげて社会の為に使わなきゃ。

まだまだ成長段階で、無知。未知。自分自身のことも実際半分わかってるかわかってないかくらいで、この世の仕組みなんてもっとわかんない。だからどんどん吸収して成長して真理を見つめ続けて学んで、自分を最大限に活かした生き方で社会貢献していきたい。愛を持ち、清く、正々堂々と生きたい。

そしてその中で素晴らしい人たちや出来事にいっぱいいっぱい出逢っていくんだろうと思う。それがすっごい楽しみ。それがわたしらしい生き方。こういう生き方しか考えられないし、出来ない。

共感してくれる人は是非力を合わせましょう。一緒に良い未来にしていきましょう。
わたしはこのまま真っ直ぐ進めばいいだけだ。

2013年5月27日月曜日

ハタチ最後の夜に書いた日記

長い間の孤独からやっと逃れたと
人に囲まれ人が好きだと自負し
世の流れに負けてたまるかと
波に逆らって歩き出せば
軽やかだった足取りも重くなってきて
あちこちから腕や脚を引っ張られ
知らぬ間に沢山の埃にまみれ
片手にはmade by 現代人の傑作品スマートフォン
数分ごと小さな窓から覗く景色は
ワールドワイドだけれどとても狭い

大好きな仲間とワインで乾杯
微力で力合わせた社会貢献イベント
子供の頃に戻ったかのようなちょっと危険な遊び
華やかで賑やかなお祝い事
美しく魅せる素朴で洒落た装い

その中にある笑顔、感謝、歓び、未来への希望

幸せ。。。

その中で何故かムショウにヒトリになりたくなる

愛情?友情?夢?希望?目標?人生?

ときたまふと思う

知らぬ間に義務感が存在し始める
装いよりも熟成し洗練された実をという願望への矛盾

ちぐはぐな自分への嫌悪感、罪悪感
見て見ぬ振りをして疲れていることにもちゃんと気付けず
こんな風に 何度も何度もバランスを崩してしまうのが
”若さ”なのかもしれないと思ってみたりする

3年間住み慣れた部屋からの引っ越し 大掃除
忙しく時に虚しく迷走していた日々が
それはそれはシャープに反映されていた

それは「充実」「幸せ」と呼んでいた日々
それは望遠鏡から覗くような感覚で

怒り 悲しさ 虚しさ 苦しみ 恥ずかしさ
それは虫眼鏡から見るような感覚で

目を背けたくなるような現実が続く日々だって
それはどれもわたしというものを わたしの人生を わたしの全てを この世界の全てを
美しい形に描くためにあるイチバン良い点であると
確信した20歳の時

そんな”ハタチ”は今日でおしまい。
そんな今日に出逢ってしっくりきたことば。

真の友は共に孤独である。/ボナール

友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。/マーク・トウェーン

近ければ近いほどあれこれ気付いちゃったりコントロールしたくなっちゃったり
どんなに偉くても賢くても人間と人間ってそうみたいね
自尊心を満たす為の友情ほど虚しいものはないと気付きながらも

気付いたらエゴでいっぱいになっちゃってたりね
イチバンに愛すべき家族や愛すべき友を
イチバンに大切に出来てなかったりね
イチバンに落ち着いて楽しかったはずなのに
イチバンに苛々して妬ましく思ったりね

「ココロの中でその人を憎んだら、それは行動をしていないだけで犯罪を犯す理由になりうって
それは犯罪と同じ程度の罪だ」という言葉にハッとさせられる



わたし「この世に生きるひとたちに”いい影響を与える人”になりたい」「いつ死んでも後悔しない生き方する」って
小学6年生の頃からずっと思ってきたんだけどね

ここでつい最近言われたことばでイチバン嬉しかったことばを紹介させて下さい

「わたしは世界中の人にゆりののことを知って欲しいって思ってる。いっぱいパワーをもらってるし、出逢って人生変わった。前向きになった。本当に感謝してる。もう既にゆりのは夢を叶えてるし、ただそれをこれからも続けて大きくしていくだけだよ。ゼッタイ大きくなるよ!応援してるからね。」
在学中2年間を共にしたトモダチにプレゼントされたコトバ。

「なりたかった」のが、「もうなってるよ」って言われたのが
あまりに嬉しくて嬉しくて 歓びに満たされて背中を押されて

いっぱいいっぱい周りのひとやこの世界のこと嫌んなりながら

たまに孤独になって 望遠鏡を覗いて
何度だってハッキリわかるの
「わたしはわたしを通して人に希望を与えるために生まれてきたんだ」
「やっぱりこの世界が大好きなんだ みんなが大好きなんだ わたしは幸せだ」
「わたしはどんどん大きくなっていくし それは可能だ」って 

生きててよかった 絶望の果てに堕ちたとき 生死を彷徨ったけど
ギリギリで あの人に 神様に 肉を纏った自分自身に助けられたの

感謝。20歳も無事に終えられそう。

脆く優しく危なっかしく だけどいざと言うとき頼りになって
人を喜ばせるのが人一倍好きな、いつもいつもお世話になってるトモダチの隣で。



明日からも前に進み続けるだけ。


2013年5月23日木曜日

愛し愛される

生理前でもないのに何故元気がないのかわからないとき。
それは行動と心が矛盾しているとき。
だけどその矛盾に気付いてないとき。
例えば自分を守る為に強がってるのに強がってる事に気付かないとき。
自分を肯定する言い訳を探してムリヤリ納得してるとき。

それに気付くときっていうのは
愛に触れたとき。
愛を受けてやっと正当な目と心が持てる。

「どうせ無視されるだろう」
「どうせ出来ないだろう」
「どうせこう思われてるだろう」
「どうせわかってもらえない」
「どうせ嘘ついてるだろう」

「だったらこっちだって話しかけない」
「だったら挑戦しない」
「だったら嫌いだ」
「だったら言わない方が良い」
「だったら全部信じられない」

思い込みから来る自分の結論(行動)は時に本心へ向かうための方法と矛盾する。

例えば本心は
「優しくされたい」
「出来るようになりたい、成功したい」
「こう思われたい」
「わかってもらいたい」
「信じたい」
だとすれば

「自分も相手に優しくする」
「挑戦する、地道に頑張る」
「理想に近づくアクションを起こす」
「自分自身を説明する」
「信じる」

こんなに簡単なことに、大人になるほど気付かなくなってしまう。
色んなしがらみ、多過ぎる情報、間違った知恵や知識、諸々によって。

そりゃセレブ生活を一度は経験してみたいものだけど、美しいものは好きだし美しくなりたいけど、本当のところ才能なんてお金なんて優れた容姿なんて名声なんてそんなものを
もしわたしが溢れる程持ってたとしても、そこから真理を学ばないのなら、わたしに愛が死ぬ迄芽生えないのなら、なんて貧しい人生だろう。

なんで言葉を学んでるかって?
世界中の人とコミュニケーションがとりたいから。
有名になって世界を舞台に仕事をしたいから。

なんで有名になりたいかって?
世界中の人に愛と勇気を与えたいから。
世界中の人に世界の美しさを知らせたいから。
沢山の面白いことを経験したいから。



わたしがシャイなのは、傷付くのがコワイからだ。
まだ、怖がってるんだなぁと、実感する事が多い。
本心は愛し愛されたいだけだ。


Melted

ほんの些細な些細な一瞬がわたしの宇宙を全て変えてしまうんだ。

今日嬉しいことがあった。それは他愛もない何気ない日常。

大きく花開く為の苦悩は決して不幸ではない。それは恵みだ。


2013年5月17日金曜日

心の中に留まる時間

いつからだろう、ひとり自分の心の中に留まる時間が凄く重要になったのは。
兄が病気になって両親不在のことが多かった小学校中学年からか
いや、きっと兄が亡くなって家族の心がばらばらになってしまった頃からだ
友人は多かったし、部活やってたときはそれが忙しかったし、全日制高校を辞めてからもずっと仕事をしてたから家に居る時間はそんなに長くはなかったけど、
家に居る間、約8年間わたしはほとんどひとり、部屋に閉じこもっていた
食事も自分の部屋でひとりきり、テレビを観るのもひとり(これは高校生位からあんまり観なくなったけど)
父親とは同じ家に住んでいながら一言も話さなくなり、母親は毎日のように「なんであんないい子が死んでこんな子が残ったんだろう」と叫んだ。わたしは毎日ナミダが枯れる程、だけどいつまでも枯れずに泣き続けた。これ以上無いほどの暴言を吐き続けた。ありとあらゆるものを全力でぶっ壊し続けた。
くる日もくる日もお互いの「死ね」と言う声が響き渡った。

兄が病気になったこと、亡くなったこと、家族が変わってしまったこと、自分自身も変わってしまったことからわたしは「生死」「人間」「生きる意味」を考えるようになった。
その他にもいじめだったり恋だったりいろんな事があって、思春期だったのもあり多感だった。

小学生の頃から心理学、スピリチュアル、宗教、あらゆることに興味を持って本を読んだ、調べた。飢え乾いて生きてる意味、この世のしくみ、自分の持っている全ての悩み考え疑問に対する答えを見つけ出そうとした。

作家になりたかったわけではないけど、エッセイや物語をコンテストによく応募してた。歌を歌った。絵を描いた。習ってない頃から見よう見まねで服を作った。昔から形は変わってもクリエイティブなことをしてて、それが今に繋がってる。それは段々焦点が絞られながらも今も続けてて、それが今の全て、夢に繋がってる。

10代のほとんどは絶望的だった、毎日が。
大好きだった兄を亡くしたことだけで胸をすべてをひきさかれる思いで毎日を過ごしていたのに
その出来事ひとつであんなに幸せだった家庭の和が一気に音を立てるように粉々に崩れていくのを直視し続けて、その後の真っ暗闇は暗過ぎて暗過ぎて光を見いだせなかった。

その中で不思議な体験も沢山した。幻覚なのか幻聴なのかとその頃は思ってもみたけど
あれは本当に見えて聞こえていたと今は思う。
人に言うと信じてもらえないようなことやサジェスチョンがわたしの人生には当たり前に存在する。

というか本当は全ての人に何らかの形で必ずあるんだと思う。気付かないだけで。
わたしはずっと怖がって来たけど、きっと最近わたしがそのことに対して向き合おうとするようになったから冷静に見つめられるようになって、その意味も段々解析出来るようになってきた。

本気で死のうと決意した日にも不思議な出来事が起こって思いとどまった。だからもう少しだけ試してみよう、この世界を見てみようと思ったのが4年程前。
あれから色々な出来事が起こる中でわたしはイエスキリストに出逢った。
そして不可能かと思った夢は叶えられるものだという思いが与えられ、今のわたしに繋がってる。

昔から何故だか「自分には使命がある」と思ってきた
自分の中でそれは「勘違いかもしれない」「自分を肯定する為に潜在意識が思い込んでるんじゃないか」と何度も問いただした。

基本的に昔から自信がないし、だけどいつも「自分には何か出来る」「そこに辿りつくために動かされてる」という思いが自然に沸き上がってきてたし、それは自分が世に出て何か表現をすることだという確信もあった。「もちろん”なりたい”んだけど、それよりも”なる”ようになってる」感覚。「いつか必ずそうなる、”予定”として組み込まれてる」感覚。

だから「でも、なんでわたしなんだろう?」と思って来た。「シャイな自分が何故表に出ないといけないんだろう?」って。なりたいくせに、なりたくなくて、でもなりなさいって言われてるような感覚もあった。

これ以上表現のしようが無いから上手く伝わる文章になってるかわからない、完全に理屈じゃない。

話は戻って、わたしはひとりで居る事が好きだ。
みんなでワイワイ騒ぐ事も好きだし、実際多くのヒトたちを知りたくて関わりを持ちたいが故に旅をしたり出かけてるわけだけど、
その後ひとり部屋に籠って本を読んだり文章を書いたり、何かを作ることは物凄い至福。

洋服を買いに行くのも美術館も映画も旅行も出来ればひとりがいい。トモダチと居るのも良いけどひとりの時間はゼッタイ必要。そしてその時間はわたしにとっては多い方がいい。その方が自分の感性がベストに働く。自分の見て来た全てを知ってる自分の中に居るのは苦しいときもあれど、慰められる。

わたしはまだ若くて生まれたての子鹿のようにいろいろなものに乱されて揺らされてしまう、だからこそ、なのも大いにあると思う。あまりに繊細過ぎて脆過ぎて、だけど勇敢で勢いのある自分自身に疲れてしまう事も多い。人と違う道を選ぼうとして選ばなくても、選んだ道は大抵多くの人とは違う道で、前例が少ない事も多い。

自分で「なんでこっちを選ぶの?」と思いながらも、考えても考えても何故だかそこに導かれる。
結果的にそこに物凄い苦労があっても後で納得する、いつも。導きを感じる。
確実に目には見えないものがあると信じてる。そしてそれこそ一番重要だと思ってる。

だけど惑わされないように自分の目を養うことが必要で そのバランスを保つ為にわたしはひとり自分自身と共に神様以外誰も知らない時間を過ごし続けるし
その中で急に誰にも言わずに皆の前から姿を消すこともあるかもしれない。

ひとりでぐるぐると同じ場所をまわったり間違った答えを選んでしまわないように、罠にはまらないように、自分の心を見張ることも大事だけど。

ぶわーーーっと溢れ出て来たから書きました。

変わらず願うは愛と平和。





2013年5月16日木曜日

多くの人に見てもらいたい〜ベツレヘム~観光と平和と現実~

最近読ん心に刺さった記事。
http://s.webry.info/sp/87498140.at.webry.info/201204/article_5.html
「(僕が首から下げているカメラを見て)お前らはずるい。平和のためだという理由をつけて、壁を見に来て壁や僕たちの写真を撮るけど、僕みたいな子供からは何も買おうとしないじゃないか。本当に平和のことを考えて、僕たちを救いたいなら何か直接ここで僕たちから買っていくべきじゃないか」:記事引用

like a Bird

The people often say "Mind-Body Interaction".
and I think so too.
But I think My Mind and My Body are'nt Best friend now.
Therefore I'm going to get one's feet wet for They will be Best firiend.
Well,It will new hobby;)

My Life will Fly and Step ♪
like a Bird!

Some times



Sometimes, I'm suddenly close to crying 
Because The World is really Beautiful.

By the grace of God

God gave me the capability to discern light. 
Intuition is becoming exact little by little. 
For example, it only had a look and only heard voice.

2013年5月15日水曜日

Rainbow


When I feel not good few days before,I saw the biggest Rainbow in my life.
It makes me comfortable.
"Thank you very much!"I murmured and smile:)
Then it disappeared immediately.

大胆こそ


恥じらいが恥じらいだ
傷付く事を恐れてる間に
刻々と歳をとっていくの
今は自分自身を満たすビギナーだ
大胆こそ

2013年5月13日月曜日

救いの手

自尊心の満たし合い、損得勘定ばかりの人間関係
世の中は憎悪心嫉妬心で溢れていて
大半の人々はそれを見て見ぬフリして死んでいくの?
”確かな愛も存在する”という言葉がうさんくさいような風潮
"常識"は嘘ばっかりだ

愛無しに何を幸せと思えようか
愛無しに何を本物と言えようか

何故目に見えるものしか信じないのか

愛故に頑張れる
愛故に満たされる

忘れてしまったのか、知らないのか

愛が無い故に頑張れない
愛が無い故に満たされない

きっと何処かでわかっていながら
わからないものを探して彷徨ってる

数字に知識に技術に才能
どれだけ積まれたって愛が無ければ巣だらけだ

美しいものを美しいと言えない
目に見える物すら信じない、認めない
見ているのはいつも自我から生まれた偶像

空、海、山、花、、、
世界はこんなにも美しいのに
恵みの雨だって彼等にとっては毒液だ

寂しいんだろう
自信がないんだろう

人間は愛を表現できるのに
世界は人間で溢れてるのに
愛が足りない
いつも八つ当たりばっかりだ

裏表の使い分け上手を誇って
人見下して自分を保って
陰口言ってる顏は何処か寂しそう
歪んだハート

見えてる物だけで判断して
生きてる意味を問いても追求しようとすらせず
早い段階で失望
今さえ良ければ良い
快楽主義

壊れやすいものを大事にしている
フリをして
虚しい水を浴びて
虚しい朝陽を浴びる

瞳を眩まされている
地球はこんなにも美しいのに

親だって先生だって
大人だってわかってない
誰も教えてくれない

それでも
歯車の狂ったこの世界にも
微力な光は確実に点々と存在している
それはいつか強烈な光になる

救いの手はいつか彼等に見えるのだろうか
わたしの言葉がよっぽど彼等には狂ってる様に見えるのだろうか
綺麗なモノはゼッタイに強い

Select

I escaped from the narrow cage.
But This place is more dangerous than before.
Though I select here.
Because I know it's my way.

2013年5月11日土曜日

A blind trap





飾って飾って、盲目の罠に嵌るんだ



real worth-真価

真価を見つめられるか
真価を鍛えられるか


恋せよ乙女命短し?
容姿は廃れても

真の美しさは永遠だ

愛する人のために
いつか愛する人のために
自分のために

清さを保て
美しさを守れ


2013年5月10日金曜日

All is bare


言葉を知っていても、例え知らなくても全ては剥き出しだ
何時だってわたしはわたしのまま変わらない
何処に居ても何があったとしても


Born again



photo by Kawasaki Tatsuya
Twitter@Kawasaki1988

受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。