2013年5月17日金曜日

心の中に留まる時間

いつからだろう、ひとり自分の心の中に留まる時間が凄く重要になったのは。
兄が病気になって両親不在のことが多かった小学校中学年からか
いや、きっと兄が亡くなって家族の心がばらばらになってしまった頃からだ
友人は多かったし、部活やってたときはそれが忙しかったし、全日制高校を辞めてからもずっと仕事をしてたから家に居る時間はそんなに長くはなかったけど、
家に居る間、約8年間わたしはほとんどひとり、部屋に閉じこもっていた
食事も自分の部屋でひとりきり、テレビを観るのもひとり(これは高校生位からあんまり観なくなったけど)
父親とは同じ家に住んでいながら一言も話さなくなり、母親は毎日のように「なんであんないい子が死んでこんな子が残ったんだろう」と叫んだ。わたしは毎日ナミダが枯れる程、だけどいつまでも枯れずに泣き続けた。これ以上無いほどの暴言を吐き続けた。ありとあらゆるものを全力でぶっ壊し続けた。
くる日もくる日もお互いの「死ね」と言う声が響き渡った。

兄が病気になったこと、亡くなったこと、家族が変わってしまったこと、自分自身も変わってしまったことからわたしは「生死」「人間」「生きる意味」を考えるようになった。
その他にもいじめだったり恋だったりいろんな事があって、思春期だったのもあり多感だった。

小学生の頃から心理学、スピリチュアル、宗教、あらゆることに興味を持って本を読んだ、調べた。飢え乾いて生きてる意味、この世のしくみ、自分の持っている全ての悩み考え疑問に対する答えを見つけ出そうとした。

作家になりたかったわけではないけど、エッセイや物語をコンテストによく応募してた。歌を歌った。絵を描いた。習ってない頃から見よう見まねで服を作った。昔から形は変わってもクリエイティブなことをしてて、それが今に繋がってる。それは段々焦点が絞られながらも今も続けてて、それが今の全て、夢に繋がってる。

10代のほとんどは絶望的だった、毎日が。
大好きだった兄を亡くしたことだけで胸をすべてをひきさかれる思いで毎日を過ごしていたのに
その出来事ひとつであんなに幸せだった家庭の和が一気に音を立てるように粉々に崩れていくのを直視し続けて、その後の真っ暗闇は暗過ぎて暗過ぎて光を見いだせなかった。

その中で不思議な体験も沢山した。幻覚なのか幻聴なのかとその頃は思ってもみたけど
あれは本当に見えて聞こえていたと今は思う。
人に言うと信じてもらえないようなことやサジェスチョンがわたしの人生には当たり前に存在する。

というか本当は全ての人に何らかの形で必ずあるんだと思う。気付かないだけで。
わたしはずっと怖がって来たけど、きっと最近わたしがそのことに対して向き合おうとするようになったから冷静に見つめられるようになって、その意味も段々解析出来るようになってきた。

本気で死のうと決意した日にも不思議な出来事が起こって思いとどまった。だからもう少しだけ試してみよう、この世界を見てみようと思ったのが4年程前。
あれから色々な出来事が起こる中でわたしはイエスキリストに出逢った。
そして不可能かと思った夢は叶えられるものだという思いが与えられ、今のわたしに繋がってる。

昔から何故だか「自分には使命がある」と思ってきた
自分の中でそれは「勘違いかもしれない」「自分を肯定する為に潜在意識が思い込んでるんじゃないか」と何度も問いただした。

基本的に昔から自信がないし、だけどいつも「自分には何か出来る」「そこに辿りつくために動かされてる」という思いが自然に沸き上がってきてたし、それは自分が世に出て何か表現をすることだという確信もあった。「もちろん”なりたい”んだけど、それよりも”なる”ようになってる」感覚。「いつか必ずそうなる、”予定”として組み込まれてる」感覚。

だから「でも、なんでわたしなんだろう?」と思って来た。「シャイな自分が何故表に出ないといけないんだろう?」って。なりたいくせに、なりたくなくて、でもなりなさいって言われてるような感覚もあった。

これ以上表現のしようが無いから上手く伝わる文章になってるかわからない、完全に理屈じゃない。

話は戻って、わたしはひとりで居る事が好きだ。
みんなでワイワイ騒ぐ事も好きだし、実際多くのヒトたちを知りたくて関わりを持ちたいが故に旅をしたり出かけてるわけだけど、
その後ひとり部屋に籠って本を読んだり文章を書いたり、何かを作ることは物凄い至福。

洋服を買いに行くのも美術館も映画も旅行も出来ればひとりがいい。トモダチと居るのも良いけどひとりの時間はゼッタイ必要。そしてその時間はわたしにとっては多い方がいい。その方が自分の感性がベストに働く。自分の見て来た全てを知ってる自分の中に居るのは苦しいときもあれど、慰められる。

わたしはまだ若くて生まれたての子鹿のようにいろいろなものに乱されて揺らされてしまう、だからこそ、なのも大いにあると思う。あまりに繊細過ぎて脆過ぎて、だけど勇敢で勢いのある自分自身に疲れてしまう事も多い。人と違う道を選ぼうとして選ばなくても、選んだ道は大抵多くの人とは違う道で、前例が少ない事も多い。

自分で「なんでこっちを選ぶの?」と思いながらも、考えても考えても何故だかそこに導かれる。
結果的にそこに物凄い苦労があっても後で納得する、いつも。導きを感じる。
確実に目には見えないものがあると信じてる。そしてそれこそ一番重要だと思ってる。

だけど惑わされないように自分の目を養うことが必要で そのバランスを保つ為にわたしはひとり自分自身と共に神様以外誰も知らない時間を過ごし続けるし
その中で急に誰にも言わずに皆の前から姿を消すこともあるかもしれない。

ひとりでぐるぐると同じ場所をまわったり間違った答えを選んでしまわないように、罠にはまらないように、自分の心を見張ることも大事だけど。

ぶわーーーっと溢れ出て来たから書きました。

変わらず願うは愛と平和。





受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。