2013年5月27日月曜日

ハタチ最後の夜に書いた日記

長い間の孤独からやっと逃れたと
人に囲まれ人が好きだと自負し
世の流れに負けてたまるかと
波に逆らって歩き出せば
軽やかだった足取りも重くなってきて
あちこちから腕や脚を引っ張られ
知らぬ間に沢山の埃にまみれ
片手にはmade by 現代人の傑作品スマートフォン
数分ごと小さな窓から覗く景色は
ワールドワイドだけれどとても狭い

大好きな仲間とワインで乾杯
微力で力合わせた社会貢献イベント
子供の頃に戻ったかのようなちょっと危険な遊び
華やかで賑やかなお祝い事
美しく魅せる素朴で洒落た装い

その中にある笑顔、感謝、歓び、未来への希望

幸せ。。。

その中で何故かムショウにヒトリになりたくなる

愛情?友情?夢?希望?目標?人生?

ときたまふと思う

知らぬ間に義務感が存在し始める
装いよりも熟成し洗練された実をという願望への矛盾

ちぐはぐな自分への嫌悪感、罪悪感
見て見ぬ振りをして疲れていることにもちゃんと気付けず
こんな風に 何度も何度もバランスを崩してしまうのが
”若さ”なのかもしれないと思ってみたりする

3年間住み慣れた部屋からの引っ越し 大掃除
忙しく時に虚しく迷走していた日々が
それはそれはシャープに反映されていた

それは「充実」「幸せ」と呼んでいた日々
それは望遠鏡から覗くような感覚で

怒り 悲しさ 虚しさ 苦しみ 恥ずかしさ
それは虫眼鏡から見るような感覚で

目を背けたくなるような現実が続く日々だって
それはどれもわたしというものを わたしの人生を わたしの全てを この世界の全てを
美しい形に描くためにあるイチバン良い点であると
確信した20歳の時

そんな”ハタチ”は今日でおしまい。
そんな今日に出逢ってしっくりきたことば。

真の友は共に孤独である。/ボナール

友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。/マーク・トウェーン

近ければ近いほどあれこれ気付いちゃったりコントロールしたくなっちゃったり
どんなに偉くても賢くても人間と人間ってそうみたいね
自尊心を満たす為の友情ほど虚しいものはないと気付きながらも

気付いたらエゴでいっぱいになっちゃってたりね
イチバンに愛すべき家族や愛すべき友を
イチバンに大切に出来てなかったりね
イチバンに落ち着いて楽しかったはずなのに
イチバンに苛々して妬ましく思ったりね

「ココロの中でその人を憎んだら、それは行動をしていないだけで犯罪を犯す理由になりうって
それは犯罪と同じ程度の罪だ」という言葉にハッとさせられる



わたし「この世に生きるひとたちに”いい影響を与える人”になりたい」「いつ死んでも後悔しない生き方する」って
小学6年生の頃からずっと思ってきたんだけどね

ここでつい最近言われたことばでイチバン嬉しかったことばを紹介させて下さい

「わたしは世界中の人にゆりののことを知って欲しいって思ってる。いっぱいパワーをもらってるし、出逢って人生変わった。前向きになった。本当に感謝してる。もう既にゆりのは夢を叶えてるし、ただそれをこれからも続けて大きくしていくだけだよ。ゼッタイ大きくなるよ!応援してるからね。」
在学中2年間を共にしたトモダチにプレゼントされたコトバ。

「なりたかった」のが、「もうなってるよ」って言われたのが
あまりに嬉しくて嬉しくて 歓びに満たされて背中を押されて

いっぱいいっぱい周りのひとやこの世界のこと嫌んなりながら

たまに孤独になって 望遠鏡を覗いて
何度だってハッキリわかるの
「わたしはわたしを通して人に希望を与えるために生まれてきたんだ」
「やっぱりこの世界が大好きなんだ みんなが大好きなんだ わたしは幸せだ」
「わたしはどんどん大きくなっていくし それは可能だ」って 

生きててよかった 絶望の果てに堕ちたとき 生死を彷徨ったけど
ギリギリで あの人に 神様に 肉を纏った自分自身に助けられたの

感謝。20歳も無事に終えられそう。

脆く優しく危なっかしく だけどいざと言うとき頼りになって
人を喜ばせるのが人一倍好きな、いつもいつもお世話になってるトモダチの隣で。



明日からも前に進み続けるだけ。


受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。