2019年1月13日日曜日

ガンジー


昨夜はブレーメンで催されたWorld Cafeインド編へ。
ガンジーについてもっと深く知れたことが一番のハイライト。

何か動かないものを動かした人、時代を変えた人というのは大抵の場合が平均値から見るとかなり極端で破天荒で頑固だよね。だからこそカリスマ的存在であり大義を成し遂げられるのだけど、活動期には"出る杭"的存在になり理解のできない人間たちにあらぬ誤解や妬みもを含めて打たれる。そして大抵生前には人々から正当な評価は降されず傍目からみたらただただ酷く無残な最期を迎えたりもする。

それでも後に「○○をした人」というキャッチフレーズをつけてその人生経歴と功績を並べて見てしまえば多くの人々が讃えるようになる。手のひら返す人々も少なくなくて、常々批判ばかり・でも長いものには巻かれる"人間"の滑稽なことだけれど、世界が真価を理解するのには時間がかかることも多い。

それにもかかわらず彼が

「喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある。」「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」

などという言葉を残しているように、紆余曲折しながら失敗もあり人にあれこれ言われながらも、決して変わることのない信念故に犠牲を払うことやこの世の一般常識的に考えたら耐えかねないような闘いにすら喜びが伴うのは、その目的が私利私欲のためでなく世界全体の平和という愛に根差しているから。

「私は、どこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示しうるというのではなく、究極において正義が栄えるに違いないという断固たる信念を抱いているからである。」
.
真に喜びある日々は環境や状況といった目に見える条件より遥かに、"愛に根ざした信念という意志ある行動をし続けていくこと"によって得られるもの。では具体的に何をすることなのか?というのは与えられた素質や時に応じて適材適所で、本人が真に探し求めたらちゃんと見つけられるのだと思う。

以下、ガンジーが大きく影響を受けた新約聖書の山上の垂訓。

"心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」-マタイの福音書5:3-12"

受講してたイノベーションスクールの広告に〜!@ウィーン

 昨年ウィーンで実際に受講していたイノベーションスクールの広告モデルをしました。 ドライブ中あちこちに見かける・・・笑 パンフレットとウェブサイト上にもちゃっかりと。